【ネタバレ】『アベンジャーズ/エンドゲーム』僕が今作にガッカリしてしまった4つのポイント

ここでは、『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観て僕がガッカリした理由を書きなぐっていきます。
当然ながら『アベンジャーズ/エンドゲーム』のネタバレを含んでいるので、まだ鑑賞していない人は要注意です。
また、今作がMCUの最高傑作!と思っている方は気分を害されるかもしれないので、このページをそっと閉じてお帰りください。

『エンドゲーム』に対する文句を書き連ねていますが、僕は生粋のMCUファンであるということ、これだけは先に言っておきます。
『エンドゲーム』に至るまでの全22作品を劇場で鑑賞してきましたし、前作の『インフィニティ・ウォー』はこれまで観た映画の中で5本の指に入るぐらい大好きです。
だからこそ、インフィニティ・サーガの最終章となる『エンドゲーム』にはかなりの期待をしていました。

しかしその期待は見事に打ち砕かれ、僕のMCUに対する熱意は完全に燃え尽きてしまいました。
ここでは、なぜ僕がそれほどまでにガッカリしてしまったのか、その理由を書いていきたいと思います。

2時間経過まで見せ場なし

今作では、クライマックスの決戦が起きるまで、目立ったアクションシーンは特にありません。
アクションと情報整理を同時にこなしつつ、随所に見せ場を配置し進んでいった『インフィニティ・ウォー』とは対照的で、見せ場はクライマックスに集中しています。
集中しすぎていると言ってもいい。

オープニングからアントマン帰還までは、ストーリーがどう展開していくのか見当がつかず、めちゃくちゃおもしろかったです。
アントマン帰還後~クライマックス手前まで繰り広げられるインフィニティ・ストーン回収作戦では、『アベンジャーズ』『GotG』などの懐かしのシーンが出てきたりして、ファンサービスは盛り盛り。
10年の集大成として、過去のシーンを利用した感動シーン、おもしろシーンを観せられれば、ファンとしては当然嬉しいし楽しいし泣けます。
けれど、ストーリー自体は停滞していて、ファンサービスに終始している感が強すぎました。

ルッソ兄弟が撮ったこれまでのMCU作品は、どれも空間を効果的に使い、カッコよく動きを魅せていくアクションシーンが特徴でした。
『ウィンター・ソルジャー』でも『シビル・ウォー』でも『インフィニティ・ウォー』でも、クライマックスはもちろん、そこに至るまでのアクションシーンが素晴らしかった。
「エレベーター内でのキャップ対ヒドラ」「街なかでのキャップ対バッキー」「キャップ&バッキー対警官隊」「空港での大運動会」「ワンダ&ビジョン対プロキシマ&コーヴァス」と枚挙にいとまがありません。
しかし今作ではそもそもアクションシーンがほとんど無く、クライマックスはCGドカ盛り大混戦で、いつもの空間整理能力のキレが見られませんでした。

非合理的なストーン回収作戦

アベンジャーズはフィンガースナップで消滅した存在を復活させるため、タイムトラベルを使ってインフィニティ・ストーンを回収するという作戦に出ます。
そのためにわざわざ3つのチームに分かれて過去に戻った結果、ナターシャはソウルストーンを手に入れるために犠牲になり、過去のサノス襲来という危機を招くに至りました。

しかしアベンジャーズは、全てのインフィニティ・ストーンを持っていた人物と彼がいた場所・時間を知っていたはず。
映画序盤でも訪れた、サノスが隠居した惑星を。
『インフィニティ・ウォー』直後から5年と4日前までは、サノスは全てのインフィニティ・ストーンを持っていました。
序盤ではストーンを持っているかもしれない無敵のサノスに無策で挑んだにもかかわらず、アベンジャーズが再度団結した現状のベストコンディションで、満身創痍のサノスのもとに行ってストーンを強奪するという、成功の確率が最も高そうな作戦に言及しないというのは全くもって謎です。
サノスとの戦闘で誰かが死ぬかもしれないというリスクはありますが、3チームの内どれか1つでも失敗すれば全てが台無しになるというリスクよりも、はるかにマシであることは明らかでしょう。

※今作のタイムトラベルに関しては↓の記事で詳しく解説しています。

サノスとの決着の付け方

今作でガッカリした最大のポイントはこれ。
『インフィニティ・ウォー』で登場したサノスは、まるで主人公のように描かれていた異質のヴィランでした。
絶対的な力でヒーローたちを圧倒しつつ、”何を犠牲にしても”自分の野望を成し遂げようとする信念がありました。
その野望も、アメコミ映画によく出てくる薄っぺらいヴィランとは次元が違いました。
「人口増加による資源の枯渇、ごく一部の層による富の占有。そういった問題を抱える今の世界を作り変える。」
そのために生命の半数を消滅させるという方法自体は間違っていましたが、少なくとも彼なりの理論で世界を良くしようとしていました。
ヒーローとヴィランの決定的な違いとはなんぞや、という問いを投げかける歴代最高のヴィランだったと思います。

サノスをこれまでのいわゆる”悪いだけのヴィラン”とは全く違う、ヒーローとは紙一重の最強最悪の敵として描き、「衰退に向かう不平等な世界」という解決しなければならない問題提起をしてしまった以上、今作でヒーローはサノスをきちんと論破しなければなりませんでした。
これまでのように、みんなで協力して力比べで勝ちました、ではダメなのです。
『インフィニティ・ウォー』を観た当時は、当然マーベルはそんなこと分かっているだろうし、「人口を減らさなくたって、俺達の力で世界を良くしていく、良くしていける!」ということを示してくれるだろうと期待していました。

しかし蓋を開けてみれば、いつもと変わらない、みんなで協力して力比べで勝ちましたという展開でした。
ヒーローたちはサノスのやり方を否定するだけで、サノスが提起した問題には目もくれず、フィンガースナップで消えた人々を取り戻したいというところで思考が停止してしまっています。
「力比べで勝って、指パッチンで敵を全員倒しました」という決着の付け方では、結局のところアベンジャーズもサノスと何ら変わりません。
アベンジャーズがサノスに真の意味で勝利するには、サノスが提起した問題を解決する方法を提示した上で勝たなければいけなかったのです。

「トニーは自分を犠牲にして皆を救ったんだから、ヒーロー的な勝利だ」と言う人もいるでしょう。
しかし、僕はそうは思いません。
なぜなら、サノスも野望を成し遂げるためなら、迷うこと無く自分を犠牲に出来るキャラだからです。
自己犠牲の精神による勝利は本質的なものではありません。
『ブラックパンサー』で閉鎖的だったワカンダの変革を描いたんだから、『エンドゲーム』では宇宙規模での変革をもたらしてくれるに違いない!と期待していたのですが、買いかぶりだったようです。

また、サノスのフィンガースナップ後の世界の描き方にも問題があります。
今作では人口が半分に減った結果、世界が全体としてどう変化したのかがほとんど描かれていません。
家族を失った、愛する人を失ったという、あくまで主観的な描き方に終始してしまっています(犯罪の発生率が激減したみたいな話がちょろっとあるけど)。
サノスのやり方で世界が良くなったのか悪くなったのか、そこはしっかりと描かなければならなかったと思います。
ヒーロー映画なんだから、「世界は前と比べて良くはなったけど、一部の犠牲の上に成り立つ幸せなど認めない。俺たちのやり方で世界を良くしてみせる」ぐらいの描き方でいいんです。
それすら描かず、消えた人たちが復活してサノスを倒してめでたしめでたし、という決着にするなら、そもそも問題提起をするべきではありませんでした。
サノスを今までの薄っぺらいヴィラン同様、圧倒的パワーを持つただの悪いやつ、という描写にとどめておくべきだったのです。

一部のキャラの扱い

具体的には、ソー、ハルク、ローディの3人。
特にソーとハルクはヒドいの一言。

僕はソーのファンではありませんが、今作のソーの扱いは、ファンが観たら怒り狂っても無理ないぐらいの扱い。
『バトルロイヤル』『インフィニティ・ウォー』でやっと確立できたカッコよさが跡形もなく消し飛び、情けないアル中のデブというコメディ・リリーフ的なキャラに成り下がっています。
母も父も弟も親友も全て失い、最強の武器を使ってもサノスを止められず、インフィニティ・ストーンという唯一の希望もなくなったことで完全に心が折れてしまった、というのは分かります。
過去に戻って母ヘルガとの会話で自分を取り戻すシーンは感涙ものでした。
雷神モードになったとき同時にライザップしてカッコいいソーに戻ると思ったのに、最後の最後までデブのままだったのは驚き。
ソーは今後も続投するみたいなので、あえてかっこいい役はキャップとトニーに譲ったということなのかもしれませんが、ビッグスリーの中で彼だけが酷い扱いを受けているというのは納得できませんでした。

ハルクは『インフィニティ・ウォー』冒頭でサノスにこてんぱんにされたあと、駄々をこねる引きこもりになり、一切活躍しませんでした。
これは『エンドゲーム』で大暴れする前フリに違いない、と期待していたのですが、これまた期待外れ。
今作では、ハルクの見た目でバナーの人格という、これまたコメディ・リリーフ的なキャラで登場。
この設定自体はいいと思いましたが、頭脳ではトニーに及ばないし、バトルには全く参加しないしで、結局のところ指パッチンするために存在する装置でしかありませんでした。

サノス襲来後、ローディがこれまで来ていたスーツがぶっ壊れるのですが、いつの間にか新しいゴツいスーツに着替えています。
しかし着替えただけで、クライマックスで活躍するシーンはおろか、全身がはっきりと映るシーンはありません。
バトルが終わってトニーに駆け寄るシーンで、あれ?スーツ変わってんじゃん、と気づくレベル。
なにそれ?

復活勢の一部も全くと言っていいほど活躍していませんでした。
けど、今作は明らかにフィンガースナップで生き残ったメンバー、特にMCUから卒業するメンバーに焦点を当てた作品だというのはわかりきったことだったので、そこに関してはあまり文句はありません。
まあ、バッキーとかドラックスを活躍させてくれてもいいじゃん、とは思いましたけど。
ブラックオーダーは今作では完全に空気。

あと、シャロンの存在が完全になかったことになってるのも気になりました。
エンディングをああいう形にする以上、彼女は邪魔な存在だったというのは分かりますが、だったら『シビル・ウォー』でキスなんかさせてんなよ、と思いました。

おわり

以上が僕がエンドゲームにガッカリした主な理由でした。

刀を手にしたことで弱点がなくなったクリント、10年の集積を感じさせるファンサービスの数々、ムジョルニアを手にしたキャップの勇姿、待望の「アベンジャーズ・アッセンブル」、クリントの名前をちゃんと覚えていたブラックパンサー、A-Force集結、トニーとキャップが迎える結末などなど、良い部分はたくさんありましたし感動しました。
特にムジョルニアキャップと「アベンジャーズ・アッセンブル」は何度でも観たいほどのシーンです。

トニーやキャップ、クリントをきれいな形で卒業させた、というだけで一応は満足なのですが、前フリの『インフィニティ・ウォー』でハードルを上げすぎた結果、そのハードルにぶち当たるどころか、下をくぐり抜けてしまったという印象はどうにも拭えません。

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